2023年09月14日
現在ビジネスのネット記事です。
引用元:現在ビジネス、中流危機(講談社現代新書)
「派遣法改正は失敗だった」と大臣もつぶやいた…非正規雇用を拡大した“張本人”たちの「本心」
引用元:現在ビジネスNHKスペシャル取材班 によるストーリー • 6 日
かつて「一億総中流社会」といわれた日本の「中流」が危機にある。中間層の賃金が減少し、当たり前の生活ができる「中流」は壊滅寸前。その結果、日本全体が貧しくなった。
この大きな原因が、1990年代半ばから始まった非正規雇用の拡大だ。規制緩和の流れの中、労働者派遣法が改正され、一部の業種のみに許されていた派遣労働は「原則自由」となっていく。
派遣法改正の当事者たちはその後の悲惨を見通せなかったのか。
「派遣法の生みの親」たちの懸念
労働者派遣法の改正が、雇用の劣化を生み、「低賃金」につながってしまうという懸念は、「派遣法の生みの親」とも言われる経済学者・高梨昌さん(2011年死去)も早々に指摘していた。
「(1986年に施行した)派遣法の当初は、派遣で働くというのは、女性の方々にも格好よく映ったのです。しかもかなり高賃金でした。派遣業務を専門職に限定すれば、それなりの市場の秩序で、賃金相場もできていくだろうという期待を込めたのです」
「私は、絶えずポジティブリスト(特定の業種だけを許す)を維持しないと、派遣というのは低賃金の市場になりかねないということを大変心配してきました。1999年改正のときに、理念をゆがめてしまった。派遣法の立法の原点を忘れたのです。ポイントはそこだと思っています」
それまで労働者を「ヒト」として扱っていた経営が、労働者を「モノ」として扱うことになる可能性がある。
法改正は、労働政策の根源的な変更であることも高梨さんは指摘していた。
「派遣切り」なんて予想しなかった
実際、法改正から10年も経たぬうちに、リーマンショックによる「派遣切り」が社会問題となり、派遣労働者が「雇用の調整弁」として扱われていたことが表面化した。
厚生労働省で1990年代から2000年代に雇用政策の立案を担当、当時労働省の幹部として法改正にあたった戸刈利和さん。彼はリーマンショックの「派遣切り」をこう振り返っている。
「ダメージを食らっても派遣の人は他の産業に移れるので、雇用確保ができると本気で思っていた。リーマンショックのように幅広い多くの業種(の業績)が悪くなるなんて今までも経験したことなかったし、そんなことにはならないだろうと思っていた……。私も経験不足、知見不足だったし、当時の大臣も『派遣法改正は失敗だった』とつぶやいていたよ」
先日書いた原稿の最後に、非正規雇用制度の改正提言も書いたのですが、10頁以内にと言われカットしました。
カットしなきゃよかった・・・・。